2015年6月28日日曜日

ミュージカル劇団エルフシアターさん、第17回公演「THE ZOO」に協賛しています

「動物園に行く前に」実行委員会は鹿児島のNPO法人ミュージカル劇団エルフシアターさんの第17回公演「THE ZOO」に協賛をしています。

エルフシアターさんのホームページ:http://elftheater.jimdo.com/

「動物園に行く前に」実行委員会はエルフシアターさんの第17回公演「THE ZOO」の公演を機会に設立される任意団体です。

PEACEさんと共同で協賛の広告を出しています。

PEACEさんのホームページ:http://animals-peace.net/

「動物園に行く前に」実行委員会

・設立の目的
 動物園に行く方たちが少しでもその場にいる動物たちの事を思ってくれたら、考えてくれたら。
 
・設立発起人
 十羅  twitter https://twitter.com/madam_thoras

・代表人(共同代表)
 十羅  twitter https://twitter.com/madam_thoras
 よしの88 twitter https://twitter.com/yoshino88
 ○○(現在もう1人未定の状態)

ホームページの開設も目指しておりますが、現在HPの作成が全く進んでいない状況です。

エルフシアターさんの公演に関するページを転載します。

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第17回公演を以下のとおり上演します


日時 平成27年7月12日(日)17:30開場/18時開演(終演20時予定)

会場 鹿児島市民文化ホール(第2)

演目 ミュージカル「THE ZOO」

入場料
  (前売)一般1,500円/中高生800円/小学生以下400円
  (当日)一般1,800円/中高生1,000円/小学生以下500円

 ※3歳以上有料・3歳未満膝上鑑賞の場合無料
 ※一般および中高生料金にプログラム大が含まれます
 ※当日券は前売券が売り切れた場合はありません

プレイガイド
   山形屋・鹿児島市民文化ホール・生協コープかごしま(全店舗)

出演  エルフシアター劇団員・スクール生

あらすじ
 動物園に中国からパンダの子どもがやってきた。しかし、何が不満なのか、エサも食べずに1週間泣いてばかり。このままでは死んでしまう、どうにかしてパンダを元気づけられないものかと動物たちは思案する。
 そんなとき、満月の夜だけヒト型に変身するオオカミが、飼育員が落とした鍵を拾い、動物たちを檻から出し、脱走しようともちかける。
 いっぽう、学校に行くのが億劫になっている娘のなぎさを見て、なぎさが学校でいじめられているのではと心配する母。なぎさを元気づけるために、学校を休んで動物園へパンダを見に行こうと誘う。
 なぎさはやってきた動物園の動物たちと自分を重ねあわせ暗くなるが、次第に興味もわいてきた。
 檻から脱け出したクマを心配したほかの動物たちが園内を探していると銃声が!
かけつけた動物たちは力をあわせ仲間の救出に挑む。どれに力を貸したなぎさは、動物たちのやさしさと真の友情を知る。
 心配していた母と再会したなぎさは、いじめに打ち勝つ勇気がでるのだろうか?

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皆様には是非ご覧頂きたいと思います、

動物園の動物たちと人間のいじめ問題、大変に奥の深い考えさせられる内容であると思います。
それをミュージカルでどのように表現されるのかも歴史ある劇団であるからこそ、出来ることなのだと思います。

また、これを契機に動物園に行く方々が、少しでもそこにいる動物たちに関して、また発展して動物園の存在意義に関して、思いを馳せてくれたらとも思います。

「動物園に行く前に」実行委員会 メールアドレス executive_committee@yoshino88.com

2013年10月28日月曜日

桔梗屋 @r_kikyoyaさんへのお返事とこちらの意見など(その2)

この一つ前の投稿した事に関して、お返事を桔梗屋 @r_kikyoyaさんから、10月27日の昼の間に25項、頂きました。

更に貴重なお時間を割かれて、お返事を書き込み頂いた事に感謝する次第です。

当日は所用で出かけており、書き込みを拝見したのが、夕方でした。
当日の夜には再度、まとめてお返事をする旨の書き込みをしたのですが、諸般の事情もあり、間に合いませんでした。

よって、本日そのお返事を再度、書き込み別にまとめてさせて頂くものです。

うちの根底に流れるものや狩猟者に対する考え方、その他はこの一つ前の投稿に書いてありますので、ここでは割愛させて頂きます。

また、このお返事自体は相手方を非難したり、攻撃するものでは決してなく、ブログに掲載する以上、あくまで単なる反対意見としての性格を持つ物であると認識して読んで頂ければと思います。
この点は再度認識して頂ければと思います。



【それぞれのお返事】

 
●2013.10.27 11:05
「ブログ拝見しました。第一印象として、狩猟者のモラル欠如の問題と、現状の有害鳥獣駆除の問題点について、非常に本質的な問題を鋭く指摘されていることに 感銘を受けました。根本の主義主張は違っても、理解し合える部分は有るという希望が持てました。」

⇒ありがとうございます。この文章が本心からであるとすれば、大変な救いです。
根本の主義主張は違っても・・・共通項があれば希望が持てます。そして、我々の根本が通らないまでも、問題点の一つでもご理解頂き、ご尽力頂ければ、この場でお話しした意義は大変に大きいものだと思います。

うち自身、狩猟者の言葉は聞かないと言う意思で今までやって参りました。
今回も当初にお言葉を頂いたときに、無視するか、罵倒して退散させるか、それともある程度の意見交換をするか、大変に悩みました。

うちのtwitter行動指針にはフォローを頂いていない方で基本的に考え方がプロフィールや書き込みを拝見して、反対の場合は一切お返事をしないということにしています。

しかし、桔梗屋さんに関しては、狩猟者ではあっても、だいぶ前からフォローを頂いております。

その点も自分のtwitter行動指針と照らし合わせ、無視する訳には行かず、またいくらかの意見を交換するのもメリットがあるかないか、わからないにしても必要ではないかと考え、今回の経緯に至った次第です。



●2013.10.27 11:06
「まず狩猟者のモラル欠如の問題について。ご指摘の問題は確かに有ると思います。このようなモラルが欠如した者が狩猟者全体でどれくらいの割合を占めるのか は判りませんが、私が普段交流を持つ狩猟者は皆、このような行為を心から憎んでおります。」

⇒今回の問題の件については、実際に被害に遭われた方や聞いたお話などを総合して書いています。
こう言った人たちが、どれほどの割合を占めるのかはうちも実際良くわかりません。

ただ、狩猟者と言うと必ず何かしらの問題があるようにしか聞かないのも事実であります。
良い評判(お付き合いする人の種類にもよるでしょうが)は残念ながら、全く聞かないのも、これまた事実であります。

こう言った事実を踏まえ、少しでも改善されますよう、希望するものです。



●2013.10.27 11:07
「一部の不心得者のせいで、狩猟者全体が同類として見られることは我々の望むところではありませんので、このようなモラルの欠如した狩猟者が淘汰されるように協力していくことは可能かと思います。」

⇒確かに全ての狩猟者が今回あげた様な人たちではないというのはわかります。
また、それは一部の人たちなのかも知れません。

しかし、こう言った事実が多くある以上は、全てがそうであるのではと見られても文句は言えないと言う事です。

これまた社会の常識であると考えます。

そういったマナー・モラルの悪い狩猟者に罰則を付けるであるとか、免許ですから、自動車運転免許のような点数制にするとか、取り消しなど様々な事が対策として考えられると思います。

是非、厳しい罰則を取り入れ、クリーンな世界にして頂きたく希望するものです。



●2013.10.27 11:10
「なお私自身は、獣害対策のためという動機でとして銃を所持していますが、「趣味としての狩猟」は否定しません。この点を嫌悪される方は大勢いると思いますが、魚を釣って食べることが趣味として認知されていると同様、趣味としての狩猟も肯定されても良いと思っています。」

⇒基本的に「獣害」と言う言葉に違和感があります。
先にも書きましたとおり、人間が自然を破壊し、生きものたちの生息地を奪い、また追いやった結果が今現在の現状ですから、反対の立場になって考えてみれば、人間が野生生物に害を及ぼしたと言う事になります。

害を及ぼしたのは人間であるにも関わらず、その根本すら理解しないで、「獣害」などと決め付け、生命を奪う事で解決する。何と身勝手な考え方でしょうか。

そういった根本の考え方を理解しなければ、また根本を考え、いかに共存、共生を考えるかと言う事をしなければ、この問題は解決しません。

そして、結果的には人類すら絶滅に向かう事になる結果ともなります。

また、どちらも趣味としての行為は一切個人的に反対しております。
ここ昨今の乱獲漁業としての魚釣りは置いておくとしても、趣味としての魚釣りや狩猟をも含め、道楽で生命を平気で奪うと言う事は自然界の生命を翻弄するだけであり、一切許されない行為と考えています。

うちは人間の道楽や好奇心などからの捕獲・採集(魚釣り、狩猟、魚釣り、昆虫採集、植物類の盗掘など)には一切反対で、これは揺るぎのない事でもあります。

ですから、魚釣りが趣味として認知されているとしても趣味の狩猟が肯定されても良いとは全く思わないのです。



●2013.10.27 11:11
「有害鳥獣駆除について、実際に被害を起こした個体と捕獲された個体が同じ個体かという問題は、特にクマなどの捕獲において大きな問題として指摘されています。被害を受けた側の憂さ晴らしのように、捕獲した個体はとにかく殺してしまえ、という風潮があることは否めません。」

⇒やはり、あるのですね。
今まで大変に疑問に思っていた事でした。
以前何人かの狩猟者からは否定の言葉しかありませんでした。
これは被害を受けたとされている側の問題が大きいのかも知れませんが、百歩譲って、間違った個体を無実の罪に陥れないようにして頂きたいものです。

本当は農家などによる一方的な被害の情報だけで、有害鳥獣駆除などともっともらしい名目を付けて、生きものたちを殺戮する事をやめて頂きたいものです。

地球に生きる生きものは人間だけではありません。鳥獣保護員(がいるのかどうかわかりませんが)や役所はそういった事を説明し、理解させて出来るだけ保護をし、放すと言う事に事を向けていく義務もあるかと思います。

全ては殺す事ありきでは何らこの有害鳥獣駆除問題は解決しません。

事業者は請け負った以上は殺さなければ金にならない制度にも大きな問題があります。
請負条件に場合によっては、と言う例外規定を盛り込む事も必要なのではないでしょうか。



●2013.10.27 11:12
「クマ対策の現場では、このような冤罪により別個体が殺されてしまう事を避けるため、自動カメラ等を使用した被害実態調査と加害個体の特定を進める動きがありますが、そのような科学的視点を持った調査と選択的な捕獲が出来る事業者は今のところごく少数です。」

⇒そう言った試みもされていると言う事ですね。
ただ、あとは先に書いたとおりです。



●2013.10.27 11:14
「まずは野生動物を人里に近づかせないようにした上で、柵などの防除対策を十分に取ることが最優先であり、それでも被害を出す、人間側から見て「悪質な」個体を特定し最低限度の駆除を行う、というのが獣害対策の本来あるべき姿です。」

⇒柵などの防除対策は当然に最低条件だと思います。
しかし、それ以降の文章については、やはり全く人間本位な考え方です。
何で被害、そして悪質なのか、疑問です。
どんな生きものでも食べるものがなければ生きていけません。



●2013.10.27 11:16
「現状の猟友会ボランティアに依存した駆除体制では、獣の首に賞金を懸けて、手当たり次第に殺すだけになっている、という反省は駆除に関わる側からも指摘されています。」

⇒猟友会のボランティアとは言っても、生きものの部位によっては大きな金儲けが出来るはずです。またそうした事も事実としてやられているはずです。

公共事業であれば、駆除の名目で殺した生きもの(動物)の死体は行政が責任を持って回収し、荼毘に伏せるべきです。

現在の状況は殺した人間の思うがままと聞きます。
これでは、欲に駆られた人間を制する事は出来ません。
そして、有害鳥獣駆除の名目も単なる金儲けの手段でしかないと非難されるべきです。

その上に懸賞金まで掛けているのでは、最悪の事態です。

懸賞金の件は初めて聞いた事ですが、大問題です。
まさに無差別殺戮の典型とも言うべき所業です。



●2013.10.27 11:18
「このような反省から、科学的視点を持って獣害対策から捕獲までを一貫して行うことの出来る専門業者の必要性が検討されており、獣害対策の主体を、何かと問題のある猟友会から、きちんとした対策の取れる専門業者に移行させようという動きが国の審議会でも議論されております。」

⇒一見希望があるように感じますが、実際のところは難しい問題です。
この国は役人がやるべき事を業者に委託してやる風潮があります。
公園などの指定管理者制度が主たるものだと思います。

指定管理者制度で良くなったと思われる公園もあれば、指定管理者制度の弊害で悪くなった公園もあります。

業者は少なくとも利益最優先主義です。
利益がなければ仕事はやらないというのが基本だとすると、どうでしょうか。
その先はいかにも簡単に予想が付くような気がします。

ただ、今までの大日本猟友会独占であった事業に様々な業者が参入し、競争をしていく事にはどちらかと言いますと希望的観測が見いだせます。

うちが考えるに銃を持つのは公人(役人)だけで、全て役人が責任を持って行えば良い事だと思っています。
役人の人出の問題は抜きにしてですが・・・。



●2013.10.27 11:19
「中央環境審議会 自然環境部会 鳥獣保護管理のあり方検討小委員会 env.go.jp/council/12natu… これが実現すれば、よしの88さんが指摘されているような有害駆除の問題点はかなり解消されると思います。 」

⇒資料のご紹介ありがとうございます。
これを全て読んで、自分なりの検討を加えるにはかなりの時間がかかります。
問題点への対応については希望がありますが、やはり先に書いた事も気になります。
ゆっくり時間が取れるときに再度全て読んで、各々の検討を自分なりにしてみたいと思います。



●2013.10.27 11:20
「制度の中に、問題行動を行う事業者は捕獲事業を受託出来なくする仕組みを組み込むことも必要でしょう。人間側と動物側双方の被害を最小限に抑えるために、このような行政の動きを国民全体で後押しすることが必要だと思います。」

⇒この項については、仰る通りです。



●2013.10.27 11:21
「ここまでは、私とよしの88さんは基本的に同じ問題意識を共有していると思います。肉食や趣味の狩猟を肯定するするか否か、というお互いの主義主張の違いに目をつぶれば、相互理解の上に立って、前向きに対策を検討する事が出来ると思います。」

⇒文章通りであれば、仰るとおりです。



●2013.10.27 11:22
「後半の畠山さん自身の行為の是非に関しては、私は畠山さんの問題というよりもそれをやらせた狩猟者の問題だと思っていますが、ご本人自身は周囲に責任を転嫁するような発言は一切されていませんし、本人の過失として反省していますので、そこを議論するのは止めましょう。」

⇒そうしておきます。

しかし、どうも今回の件だけではなく、今までも何度となく生きもの(動物)たちをなぶり殺しにしている様な情報も得ました。
詳細は調査中ですので、何とも言えませんが、もしそれが事実だとすれば、やはり反省などは言葉だけで、また何度となく繰り返すと言う事です。

どの程度のどういったいきさつか、それとも事実なのかは、今現在時間がなく、完全に確かめる事が出来ませんが、もし事実であれば、問題としていく所存です。

事実でなければ、仰るとおりとさせて頂きたいと思います。



●2013.10.27 11:24
「「反省しても取り返しがつく問題ではない」というのは我々手を下した当事者自身が痛感しているものです。畠山さん自身もそう書かれています。私自身、かつて自分がひと息に殺せなくて苦しめてしまった動物の最後の姿は決して忘れることが出来ません。」

⇒もし、そうであれば何故そこまでして、狩猟を続けているのかが理解できません。



●2013.10.27 11:24
「他の生き物の生命に対して、取り返しのつかない事をしてしまったという認識に立った上で、よしの88さんも書かれているように「その経緯と方法に関して、これからどうするか」という事を私達は考えております。」

⇒それが一番大切な事だと感じます。



●2013.10.27 11:26
「罪の意識を抱いてもう動物を殺さないというのも選択ですし、次こそは動物を苦しめずに殺せるよう、きちんとした道具と方法を準備して臨む、というのもまた選択だと思います。これは他者がどちらかを強要できる問題ではありません。後者を選んだ畠山さんの選択を私は支持します。」

⇒希望としては、できる限り、前者の選択をして頂きたいものです。



●2013.10.27 11:27
「今回、猪を何十回も殴らなければ気絶させられなかった大きな原因は、本来物を殴るための道具では無いスコップを使った事にあると私は考えています。そこで私は畠山さんに代わりの道具を提案したことがあります。 」

⇒道具の選定にもミスがあった訳ですね。
その点も問題とするべき事ですね。



●2013.10.27 11:32
「取り返しの付かないことをしてしまった場合、どう責任を取るかという事には人ぞれぞれ意見があると思います。誰かが我々に「もう動物を殺さないで欲しい」という意見を言われるのは自由ですが、それを相手に強要したり、従わない相手を罵倒したりする事は許されないと思います。」

⇒これには反対です。
相手は、理由はどうであれ、生きもの(動物)たちの生命を奪っているのです。
それも、残虐な方法で。

それに対して、生やさしい言葉で済ませる事が出来るでしょうか。
少なくとも、残虐に殺しているんです。
言葉を選ぶ必要はありません。



●2013.10.27 11:33
「お互いの根底にある主義主張の違いを認識し、それを相手に強要さえしなければ、こうやって話していく内に共感できる部分は大きいと思います。例えば、私とよしの88さんの間でも、モラルの欠如した狩猟者を憎む気持ちは同じですよね。」

⇒前回も申したとおり、強要でも押しつけでもないのです。
考え方や価値観は人それぞれで、全く同じものは何一つありません。
ですから、強要や押しつけだったら、双方向にお互いにそうなってしまいます。

そうでなければ、双方向にそうにはならないと言う事になります。



●2013.10.27 11:35
「ところで、よしの88さんが書かれている中でいささか現状の認識が甘いと思う所があります。まず猪についてですが、成体の猪は、メスでも噛み付きや体当たりで人間に重傷を負わせる力を持っていますし、牙を持つ雄の猪なら人を殺せます。大げさすぎるという認識は危険です。」

⇒確かにそうでしょう。
うちも山の中や里山でイノシシ君には何度となくばったりと出くわしていますから。

でも、それはイノシシ君を恐怖に陥れ、防御をせざるを得ない状況にしているからに他なりません。

普通にしていれば、そして、相手を信用していれば、何ら危害を加えてくる種ではありません。

要するに捕獲の仕方や人間が取り巻く事が問題であると言う事です。
これは、今回の論点からはずれているかもしれませんが。



●2013.10.27 11:38
「シカによる植生破壊は本当に深刻です。例えば、知床、洞爺湖、尾瀬、日光、大台ヶ原、日本アルプス等の事例を調べてみて下さい。日本全国で身近な自然の破壊はもっと進んでいます。」

⇒確かに仰る通りです。
しかし、先にも書いたとおり、生きものたちの生態系を壊したのは、図らずも人間であり、責任を負わなければなりません。

それを殺す事で終わらせようという安易な考えが納得できません。

正確な個体数調査や行動の調査、植生の変化の調査など具体的なデータを持って、望むべきです。

現在のやり方は単に表向きだけを見て、推定で捕獲、捕殺しているに過ぎません。

うちは、知床であれば、「知床財団」、大台ヶ原であれば、「大台ヶ原と大峰の自然を守る会」(現在は活動を停止して存在しない)など全国各地の自然に関わる団体の会員ともなっており、少なくともこのシカ君たちの問題には普通以上に関わっていると思っております。

各地の現状などは会報などでメーリングリストなどで逐一報告がされてきます。
少なくとも実感としては十分にあるものの、疑問もない訳ではありません。

どこも抜本的な対策は取られていないと思いますが、少なくとも、共存・共生を一番に考えた対策を希望したいところです。



●2013.10.27 11:40
「元はといえば人間が、シカの天敵であるオオカミを絶滅させたのが原因といわれていますが、だからといって、人間がシカによる植生破壊を無責任に放置して良いということにはなりません。むしろ人間が原因だからこそ、その対策を人間が取らなくてはいけないと私は考えています。」

⇒その通りです。
そして、人間が責任を取らなければならないのです。
対策はその後から付いてくるものです。



●2013.10.27 11:43
「私が銃を持ち続けていることに関して「代わりなんていくらでもいるのです」と書かれていますが、田舎における狩猟者の急激な減少と高齢化、鳥獣対策に当たる人材の恒常的な不足について、全く理解されていないと感じました。」

⇒狩猟者の不足とその要因に関しては、少なくとも理解しているつもりです。
それは各地からの様々な報告などを見ても実感として伺えますし、良くわかっているつもりです。

そして、環境省が「狩猟の魅力まるわかりフォーラム」と題して、全国各地で開催をして、いかに狩猟者の確保に苦労をしているかも十分に伺えます。

ただ、この「魅力」というのが、引っ掛かります。
狩猟をお遊びとも受け取られかねない題名の付け方です。
内容に関しては知る余地はありませんが、少なくともゲーム感覚での狩猟者もこの催しで増加するでしょう。

また、マナーやモラルの欠如した狩猟者も少なくとも現在よりも増えるでしょう。

それよりも、免許取得者を増やすために、免許の取得の基準を下げて、取得者を増やすという対策もされると考えられます。

レベルの低い、またお遊び感覚の一般人が銃を持つと言う事はどういう事か。
少なくとも、今現在よりは多くの問題が起こるであろう事は想像に難くありません。

そう言った、先を見据えた問題に関しても考えて頂きたく思います。

いくら人手不足とは言っても、一般的な資格や免許とは違います。
銃を持つ(種類があって銃を持てない免許もある様ですが)のです。

何でも出来ると勘違いする人間が必ず出てきます。
犯罪も必ず増えると断言できます。



●2013.10.27 11:46
「先に書いたような鳥獣対策の専門業者が全国で活動するようになったら、本当に「代わりがいくらでもいる」状況が実現するようになると思いますが、今のところその見通しは立っていませんので、私はやはり銃を持ち続けようと思っています。」

⇒こちらに関しては、特にありません。



●2013.10.27 11:50
「以上、よしの88さんとお話ししたおかげで、とても有意義な意見交換が出来ましたことに感謝します。よしの88さんのブログの文章を拝読し、私もすごく考えさせられ勉強になりました。本当に沢山の時間を割いてくださった事に心から感謝します。どうもありがとうございました。」

⇒最後のお言葉が唯一の救いです。
多くの時間を掛けた甲斐があったというべきものです。
今回、最初はどうしようか迷った事も冒頭に書きました。
ただ、今回主義主張は正反対ではあるけれど、同じ考えもその中でいくつかは共有できると言う事に気がつきました。

様々な事実をもお教え頂き、現在進められている事にも資料を紹介頂きました。

結果的には、我々の希望通りにはならないものの、今回の一連のお話は有意義であったと感じます。

そうでなければ、うちの性格として、ここまでのものを書く事もしませんし、お返事もしません。

改めて、貴重なお時間を割いて、それぞれにお返事を頂き、ありがとうございました。

今回のこの投稿に関してのお心遣いやお返事は不要です。
際限なく議論が続くのも、お互い望むところではないと思います。

また、何かあったら、一言入れて下さるなり、こちらから一言入れるなり、そんな感じで良いと思います。

今回の件については、これで以上としますが、残念ながら、この話の発端となったホームページのオーナーにはこれからも様々な事を発言していかなければなりません。

今回お話に出た事の繰り返しはしないつもりですが、少なくとも道徳的、倫理的な面での書き込みはしていくと思います。

それよりも、この件の発端となった方が全く議論の場に姿を現さないというのも大変に引っかかりを感じざるを得ません。

思い過ごしかも知れませんが、他人任せのような、そんな気がしてならないのです。

2013年10月27日日曜日

桔梗屋 @r_kikyoyaさんへのお返事とこちらの意見など

10月25日未明より、twitter上で狩猟に関する議論がなされました。

その中で、その是非に関して、「ちはるの森」(http://chiharuh.jp/)で公開されている行為に関しての議論が集中しました。

そもそもの発端は、うちがこのホームページオーナーに対しての書き込みを行った事に対して発した事で、桔梗屋 @r_kikyoyaさん、その後、ピクシー(奈落のひっそり部長) @pixie10ole さん、空 @sora_love_sora さん、STOP VIVISECTION @hana_ko45 さんも交えての議論へと10月26日朝方まで発展しました。

ここで、うちは深夜を徹して行われた議論に関して、10月26日の朝からの仕事も控えていたために、議論を中座したために、その後の昼間に議論された事に関して、twitter上や自分のHPの掲示板などでは字数制限もあり、まとめて書き込む事が出来ないために、この場にまとめて書かせて頂くものです。

中座をする際に、狩猟に関してその制度であるとか、許可関係など諸々の事を自分なりに調べて、再度お返事をすると書いたのですが、今現在、満足に調べ切れていない状況です。

ネットで狩猟を調べてみても、その免許制度の表向きの事などの概説しか見当たらず、その許可条件がどうなっているのかの具体的内容、何に対して特権(あるのかどうかわかりませんが)があるのかなど、深く掘り下げた事は殆どわかりません。

得てして、時間がないために書いてある場所を探しきれないのか、見落としているのか、更には作為的に書かれていないのか、そのどれなのかは今のところ判断できません。

よって、この調べるべき事項は書籍を探すなり、更にはネット上で更に検索をかけて、詳しく調べるなりして行きたいと思います。

ただ、これで何か深く掘り下げられた何かが仮にわかったとしても、自分自身の考えが変わる訳ではなく、概して、狩猟者側が主張している事の裏付けと確認を取るのみの事です。

さて、ここでどの様にお返事をするか迷いました。

まずは、こちらの根底に流れる主張を書かせていただき、その上で10月26日の昼間に行われた議論に関して、うち宛てのメンションもありましたので、お返事を書き込み毎にピックアップして、対比しながら、お返事とさせて頂く事にしました。

また、このお返事自体は相手方を非難したり、攻撃するものでは決してなく、ブログに掲載する以上、あくまで単なる反対意見としての性格を持つ物であると認識して読んで頂ければと思います。


【根底に流れるもの】

うちはtwitterのプロフィールやホームページ、他の場所でも書いている通り、アニマルライツであり、完全菜食主義者です。世間ではヴィーガンと言う言葉もありますが、自分には言葉があまりなじまない為もあり、完全菜食と表現しています。

よって、自然界、そしてこの地球上に同じく生を受けた生きものたち(広範な動物類として昆虫類から植物類に至るまで)への理不尽な扱いには全て反対をしています。

自分が考える理不尽な扱いとは単に人間本位の考え方から来る生きものたちへの扱いです。

このブログのサブタイトルにもある通り、動物類から昆虫類、全ての生きものたちに対してです。

よって、狩猟に関しても、現在の狩猟は単なる人間本位の考え方から来る快楽や自己満足の世界が殆どのために完全に反対をしています。



【狩猟と言う行為に関して】

最初にお断りしておきたいのは、狩猟文化を完全に否定をしている訳ではないと言う事です。

古くからの狩猟は自然界と一体となって行われてきたに違いないと感ずるのですが、現在の狩猟は果たしてどうでしょうか。

現在の狩猟は自然界と一体となって、生きものたちの生態を考え、または生命を敬い、必要最低限と言う事が考えられているでしょうか。

うちが考える現在の狩猟

①人間の快楽のための狩猟
②人間の自己満足のための狩猟
③人間の金儲けのための狩猟
④人間が今までやってきた事に対する罪隠しのための狩猟

はっきり言って、これしかないのではないでしょうか。

古くからある狩猟文化も現在では全く自然界を無視した、単なるお遊びにしか過ぎなくなってしまいました。
更には「有害鳥獣駆除」などと言うもっともらしい理由を付けて、合法だから何をしても良いとも受け取れるような、人間本位そのものの狩猟すら行っています。
それ以上に今までさんざん自然を破壊して、生きものたちの生息域を奪っておきながら、その生きものが人間の前に出てくると害獣だと決め付け、殺す事しか考えない、単なる罪隠しのような卑劣な殺戮狩猟もあります。

生きものたちの個体数調整での狩猟と言う事もあるでしょう。
しかし、これも人間が自然界の生きものたちの生命をコントロールするなどおごり高ぶりも甚だしい事です。

また現在の狩猟者のマナーは知っている限り、最悪です。
①合法だからと言って、住居があるにもかかわらず、住人の迷惑を全く考えない。
 中には住人よりも自分が優先とも考えている輩もいて、住人に向かって「楽しみのために邪魔するな」と言う輩もいるらしい。(迷惑行為)
②猟犬が近隣住人の飼い犬や飼育動物をかみ殺す事さえ起きている。これはイヌ君が悪いのではなく、狩猟者の全面的責任。(器物破損)
③猟犬を使うだけ使って捨てる。いわば、生きものを道具として使って使い捨て。(動物愛護法違反)
④他人の住居や施設を壊しておきながら、合法である狩猟のためと正当化する。(器物破損)
⑤車両を平気で他人の迷惑になる場所、駐車禁止場所に駐車する。(道路交通法違反)
⑥狩猟許可鳥獣以外の種を殺しても、見間違えたで済むと思っている輩の多い事。(鳥獣保護法違反)
⑦更には、人間を撃っても、見間違えたで済ませる輩もいる。大日本猟友会ではそのための保険すら用意しているらしい。自己責任を課すには乏しい現状。(傷害、殺人)
⑧狩猟した鳥獣の必要な部分(金儲けの手段)だけ取って、あとはその場に捨てていく感覚。(不法投棄)
⑨金儲けのためにある種の部位だけを目当てに生きものを殺戮する。
⑩更には密猟者と言われる人種は狩猟者以外にはいない事。(鳥獣保護法違反)
⑪何でも「殺す事」ありきでしか考えていない。
⑫人間本位の典型的な所業である事。
⑬自身の快楽、自己満足のためには何でもやるし、お構いなし。
⑭狩猟のためなら、平気で他人の住居(私有地)にも立ち入る。(住居不法侵入)

などなど、まだあると思いますが、この14個だけでも最悪のマナー・モラルしか持っていない事が伺え、あまりにも無神経です。その上、その殆どが法律に違反し、犯罪も同然です。

いくら、狩猟に関して合法でも他の法律はお構いなしでは正当な行為であるとは到底言えません。

当然に全ての狩猟者がそうではないでしょうが、うちとしては、こう言った事から、狩猟者は全く信用していないし、信用できないというのが見解です。

狩猟者の意見を聞いてくれと言うのならば、そう言ったマナーやモラルを改善して、クリーンなイメージにしてからにしてくれと言いたくなります。

古くからの正当な狩猟も現在ではこのような状況では、現在の狩猟者が正当な文化をまさに壊してきたと言う事にもなります。現在の狩猟者の社会的責任も大きいと感じます。

以上のような事から、今の狩猟の現状からは信用していないのですから、その狩猟者の意見を聞く事も出来ないし、果たしては歩み寄りなどはないと言う事になってしまいます。



【それぞれの書き込みに関すお返事】

それぞれ文章が分割になっていますから、こちらからの意見もバラバラになったり、前後したりすますが、一応は書き込まれた順番にして行こうと思います。


●2013.10.26 10:09
「くくり罠にかかった猪を叩き殺すのが良いかどうか、わかりやすく説明しましょうか。 まず今回畠山さんが捕獲したのは、有害鳥獣駆除で捕獲した猪です。」

⇒有害鳥獣駆除で捕獲した猪とある様に、あくまで合法的である事は否めません。
しかし、それが本当に害を及ぼした猪であるかの個体判断は出来ないですよね。
そもそもやっている事に矛盾があります。

叩き殺すのが良いのかどうか・・・とは合法に捕獲した生きものであれば、どう扱っても良いと言う事を言いたいのでしょうか。



●2013.10.26 10:10
「有害鳥獣駆除は被害を受けた農家等の依頼に基づいて、事業として実施されていますので、罠に駆除対象である猪がかかった時点で、従事者に「殺す」以外の選択肢はありません。」

⇒その依頼の信憑性は十分に調査されているんでしょうね。
それよりも、そもそも自然を破壊して、野生動物の生息域を荒らし、または生息域を奪い、追いやり、踏み込んだのは、図らずも人間であると言う事を全く忘れた、全くの人間本位な考え方です。

生物多様性国家戦略などと良いながら、別の方面では次々と自然を破壊し、野生動物の生息域を奪っているにもかかわらず、人間の作った作物が食べられたくらいで「殺す」しかないと言うのも、あまりに心の狭さを感じさせざるを得ません。

事業であるから「殺す」しか選択肢がない。おかしな話です。

それでは、百歩譲って、荒らした個体がそのかかった個体だと言い切れる根拠はどこにあるのでしょうか。
この文章では単に罠を仕掛けて、かかった個体を荒らした個体、人間本位の考え方による害獣と決め付け、無差別殺戮をしているとしか考えられません。

そういった疑問を持たないと言う事は、結局は「殺したい」=自己満足と快楽の所業だと言われる訳です。

余談ですが、うちの父方の実家が山形県にありますが、そこでも農業を営んでいます。
当然に鳥海山の麓の町、生きものたちも多くいます。
叔父は生きものたちが作物を食べに来ても、害獣だとか害を被ったなどと言った事はありません。
生きものたちの生息域に入ったのは、人間であり、食べるものがあれば、食べに来るのも当然で、その行為を責めて殺しても何ら解決しないとも言っています。

叔父の農場では有害駆除などと言う言葉は存在しません。

そして、出荷できなかった作物を敷地周辺のある場所にまとめておいておくとか、簡単な柵を作るとかの対策もしています。

依頼をしてくる農家の方は「対策」と言う物をしているのでしょうか。
対策すらせずに、単に有害だと決め付け、殺す事を持って罪を償わすなど、言語道断としか言いようがありません。

人間本位の考えでおごり高ぶりも良いところです。
そう言った事に加担していると言う事にならないですか。

事業だからとか、被害だとか、全ては人間が勝手に決めた事であり、野生動物には何ら関係はないのです。

人間がしてきた様々な事が元となって起こっている事を「殺す」事をもって「駆除」する事しか道はないのか、改めて良く考えて頂きたい事です。

事業者は殺さないと金にならないでしょうから、そういった制度にも問題があります。



●2013.10.26 10:12
「次に罠にかかった猪を殺す方法ですが、最近は銃の使用が多くなっています。」

⇒これは現状でしょうから、意見はありません。
いつも報道や情報から十分にうかがえる事です。



●2013.10.26 10:13
「もっとも、少し前までは罠で捕獲した個体への銃の使用が禁止されていましたので、くくり罠の場合は、まず頭部を殴って気絶させ、その後刃物でとどめを刺すのがいたって標準的な方法です。」

⇒これも方法論ですから、意見はありません。
家畜などの屠殺方法と似通っていると言う事はわかります。



●2013.10.26 10:15
「この時重要なのは、必ず一撃で気絶させるという事です。これは獲物が暴れ出す事で従事者に危険が及ぶのを防ぐ事と、獲物に出来るだけ恐怖と苦痛を与えないための配慮、という2つの意味があります。」

⇒これも方法論の延長ですから、意見はありません。
動物福祉の考えが少なくとも取り入れられているのかなと言う事は伺えました。



●2013.10.26 10:16
「畠山さんのケースで問題なのは、まさにこの「一撃で気絶させられなかった」という点です。」

⇒結果論的にはそういうことになるでしょうね。
その時点で先にあった方法論の「出来るだけ恐怖と苦痛を与えないための配慮」はなくなったと言う事でしょう。
方法論に反してしまった時点で即座に別に方法を考える必要があったのではないでしょうか。
そこが問題です。
狩猟者がいくら方法論を説いて、そうしていますと言ったところで、その方法論が遵守できなかった場合にどうするのかの対策すら考えていないと言う事になりましょう。
それでは、一つの観点から見れば、事業だ、殺すしか選択肢はないと言ってもその行為自体は正当化できないでしょう。



●2013.10.26 10:17
「非力な女性が、スコップという軽い道具で猪を殴って気絶させるのは大変難しいであろうことは、罠猟の経験のない私でも容易に想像が付きます。」

⇒それは違います。
現在は仕事に関して男女同権、雇用の平等が謳われている時代でもあります。
女性だから出来ない、やれないと言う事は少なくとも一般的には通用しません。
うちが勤務する会社でも男女の格差はありませんし、ましてや仕事で女性だから出来ないだろうという考えも持っていません。
待遇面では給与は同じですが、その他の面で違うところはあるせよ、女性だからと言う良い訳は通用しません。

ましてや今回のように生きものの生命に向かって、女性だからなどという甘えは全く通用しない事は何を見ても明らかです。



●2013.10.26 10:18
「畠山さん自身は、猪の止め刺しを初めて経験したとの事ですので、実際にやってみるまでその事に気づかなくても仕方ありません。むしろその方法を指示した者の判断の甘さが問題だったと私は思います。」

⇒それは違います。
初めてだから、経験した事がないからとは理由になりません。
新米の医者が初めて手術したから、失敗して結果的に患者を殺してしまったと言う事と同じです。
生命に対する責任がなさ過ぎるとしか言いようのない事です。

指示した者の判断が甘かった・・・これも違います。
要するに生命を軽視していた結果です。
大切な事はきちんと考え、状況を見て判断するはずです。
それをやらなかったと言う事は、ずいぶん軽く考えていたものに他なりません。
狩猟者というのはいい加減と言う言葉で表すに相応の行為です。



●2013.10.26 10:19
「もし私が当事者なら、2・3回の打撃で気絶させられなかったら自分が代わったと思います。そうでなければ、周囲にいる人間は非常に危険な状態に置かれますし、猪を無駄に苦しめてしまうからです。」

⇒周囲にいる人間は非常に危険な状態に置かれます・・・少し大げさすぎます。イノシシ君でしょう。

ただ、文章自体は確かにそうするべきと感じます。
それが先に書いた別の方法です。



●2013.10.26 10:21
「そして畠山さん自身は、猪を一撃で楽にさせてあげられなかった自分の未熟さをとても後悔し、反省しています。」

⇒結果的にはイノシシ君を50回も殴って、殺したと言う事でしたね。
要するに撲殺と同じ事です。
形式的にナイフを使ったとしても、先の方法論に合わないのではありませんか。

結局は殺す事ありきでどうしたって構わないと言ういい加減な無責任な考えから来る行為です。

後悔し、反省すればすむと言うものではありません。
どんな状況でも実行したのは自分なのですから・・・。
また同じ事を繰り返し、毎度となく、言い訳をするのでしょうか。
そして、後悔しています。反省していますで済ますのでしょうか。



●2013.10.26 10:23
「ただし、この苦い経験を無駄にしないよう、次こそは獲物に苦痛を与えずにとどめを刺せるようになる決心もされています。私も同様の経験がありますので、私は畠山さんのこの決断を心から支持します。 」

⇒言葉ではどうとでも言えます。
また、同じ事を繰り返します。



●2013.10.26 10:26
「畠山さん自身がこのような決意を語っていることは、少し前のツイートを読めばすぐ判ることです。」

⇒先に同じです。



●2013.10.26 10:29
「畠山さんを批判されるのであれば、そもそもの発端の時点までTLを遡るか、せめて関連ツイートのまとめくらいちゃんと読んではいかがですか?」

⇒人間というものはどんなに出来ていても、どんなに優秀でも、一つの事で全ての信用を失います。
それが今の社会の現状でもあり、常識とされている事です。
ですから、一つの行為を見るだけで十分です。

一応はホームページやその他見ている事は見ていますが・・・。



●2013.10.26 10:32
「そんな簡単な事もしないで、リツイートされてくる一部ツイートの、それもごく表面的な部分だけを取り上げて畠山さんを批判する資格は誰にもありませんよ。もっと勉強してから出直してきてください。」

⇒先に書いたとおりです。
どんな事でも正しいと言われる事でも、批判をする権利は誰にでもあります。
それは何故かと言いますと、価値観や考えは全て人それぞれであり、同じものは何一つないと言う事だからです。



●2013.10.26 11:01
「有害鳥獣駆除で捕獲したと私は最初に書きましたよ。被害に合っている農家等の依頼に基づいて、自治体の事業として実施されている捕獲事業に道徳的是非を問う余地はありません。」

⇒前にも書きましたが、有害鳥獣駆除だから、事業だから、何をしても良いとはなりません。
法律上では合法でも道徳的、倫理的な事は当然にどんな事においても出てきます。

だから、狩猟者は人間本位の考えしかしない、殺す事ありきの考えしかないと言っているのです。



●2013.10.26 11:06
「駆除事業の是非を問いたいのであれば、従事者ではなく発注者である市町村に問いただすのが筋でしょう。もっとも被害を受けている当事者でも、そこの住民でもない方にそんな権利はありませんが。 」

⇒それは責任逃れというものです。実際にやっているのは狩猟者でしょう。
実際に手を下している方が責任を取り、また様々な対策をするのです。
それが今のこの国家、行政のやり方です。

うちの仕事の中でも行政(役所)発注の仕事、事業が多くありますが、その仕事に関する様々な事は全て業者任せであり、業者が対応する事になっています。
関連する警察でさえ、許可を出しているにもかかわらず、それに対する対応などは全て申請者となっています。

ですから、行政に是非を問えば良いなど、全くナンセンスなお話です。

事業そのものに関しての是非については問い合わせる事が出来るかも知れませんが、やっている事に関しては全て業者、事業者です。

また権利と言う言葉が出てきましたが、どんな事でも権利はあるんです。
当事者でも住民でもないから権利はないなどと言う事は当然にしてあり得ません。
どんな事でも言う権利は誰にでもあるのです。
それが日本の憲法にも謳われているでしょう。



●2013.10.26 11:13
「猪を一撃で気絶させられなかった事に関しては、決して許される事ではなかったという反省を、私も畠山さんもさんざん書いていますが、きちんと読んでますか?」

⇒何度も見ています。
しかし、先に書いたとおりで、本当に悪く言えばですよ、言葉では何とでも言える訳です。
結果的なものを反省しても仕方がないのです。
特に生きものの生命に向かってはです。
その経緯と方法に関して、これからどうするかが必要なのです。
それも社会の常識でしょう。
単なる簡単にそうならないように決断したって、意味がないのです。



●2013.10.26 11:20
「 しかも叩き殺したのではありません。殴って気絶させてから刃物でとどめを刺しています。事実誤認で適当な事を書くのはおやめ下さい。」

⇒撲殺ではなかったのですか。
これはこちらが間違えていましたね。
ただ、イノシシ君を50回も殴った事は事実であります。
刃物での行為は形式上やった事に過ぎないのではないでしょうか。
そう思えてなりません。



●2013.10.26 11:22
「それでは法的な手続きに基づいて告発されたらいかがですか?確か先程まで「道徳的な問題」と言われていたような気がしますが、それよりも法的に自治体を相手にされた方がよほどすっきりしますね。」

⇒それは簡単に言えば、開き直りと言うべきものなのでしょうか。
どんなに法律的には正しくとも、道徳的問題が発生する事は往々にしてあります。
それはやっている人間に問うていくしかありません。
そして、更には倫理的な事も問題になってきます。



●2013.10.26 11:26
「有害鳥獣駆除の許可が出ているので、猪を殺すべき理由と法的な許可はあるのですよ。我々が反省しているのは「苦しめずに殺してやることが出来なかった」という我々自身の道徳的観点からです。」

⇒これも先に書いた事と重複しますね。
許可があるから何をしても良いとはなりません。
行政の許可というものは絶対ではないんです。
あくまで許可は許可でしかありません。
条件に合うようにやっても良いと言う事に過ぎません。
良くわかっている事でしょう。

我々の仕事でも仕事の世界が全く違うと言われそうですが、行政や警察の許可があっても、住民や通行人、第3者などからの苦情があれば、その通りに出来ない事も往々にしてあります。

その対象は様々です。
住民は勿論、通行人、ただの通りすがりの人間、初めて来た人、あらゆる人間です。
そこで、当事者でも住人でもないくせに文句を言うな、許可を取っているなどと言う馬鹿はいません。

そんな事は社会全般の常識でしょう。

あなた方が言っている事は、うちが仕事で許可を取っているから関係ない、住民でも当事者でもない人間の意見は聞かないとする事と全く同じ事です。

許可があるから何をしても良い、その通りにやらなくてはならないと言う理屈は全く通りません。



●2013.10.26 11:28
「今の日本では誰かが動物を殺さなければ食料生産や生態系の維持は成り立ちません。有害駆除に関わっている我々は、誰かが殺さなくてはいけないのなら自分の手を汚すという決意を既に固めています。」

⇒何度も書いていますが、人間本位な考え方の典型です。
自然生態系は人間が壊してきたものです。
だからと言って、コントロールしようなど、おごり高ぶりも甚だしい事です。



●2013.10.26 11:30
「その上で「出来るだけ野生動物に苦痛を与えないように殺す」というのが我々の倫理観です。貴方の考えとは著しく食い違っていると思いますが、自分勝手な道徳を他人に押しつけるのは止めてください。」

⇒これも先に書いた事と重複します。
人間の価値観などは人それぞれで全く同じと言う事がないくらい様々です。
押しつけても意味がありません。だから、押しつけなどはしません。

押しつけというならば、あなた方も狩猟者の価値観を押しつけていると言う事になります。
自分勝手と言いますが、何度も書いているとおり、マナー・モラルなど道徳的な心得のない狩猟者に言われたくはありません。



●2013.10.26 11:38
「それでは貴方が直接中山間地域に足を運んで、獣害に悩む農家の皆さんに、動物を殺さなくても農業が出来る方法を教えてきてあげてください。みんな悩んでいるのですごく助かると思いますよ。」

⇒これも先にもうちの叔父の例も出して書きました。
受け入れる寛容な心を持つ事です。
そして、簡単な出来る対策をする事です。
生きものたちを目の敵にして、自分たちが生きものたちの生息する場所を奪っておきながら、作物を食べられるから単に殺すなどと言う人間本位の論理は全く通用しませんし、言語道断です。



●2013.10.26 11:43
「あと、シカが増えすぎたせいで多くの貴重な植生が食い尽くされて本当に困っています。シカを殺さずに人間が責任を取る方法を教えて下さい。話の続きはその問題が解決してからにしましょう。」

⇒これもシカ君の天敵である生きものが絶滅してしまったからでしょう。
それは図らずも人間のやった事です。
シカ君も食べなければ生きていけません。
生きものたちを平気で絶滅させる人間が今度は貴重な植生が食い尽くされて絶滅に瀕しているからどうすれば良いとなど論理的に崩壊しています。
自然現象は自然のままに、人間がいないとうの昔から自然では自然淘汰がされ、生き残る事の出来る種類が子孫を繁栄させ、残ってきたのです。



●2013.10.26 11:46
「私には人間が動物を殺さずに生きていける方法が判りませんので、こうして心からお願いしています。出来れば私も野生動物は殺したくありませんので、本当に教えてください。お願いします! 」

⇒菜食主義に移行すれば良いでしょう。
うちは全くの動物食を摂らないで、長年来ています。
少なくとも食では動物類を殺す事には加担していませんし、殺す数は減らせます。

また、自然生態系に関しては寛容な心を持って、受け入れる事しかないと思っています。

人間がやってきた事のために動物類を殺さなければならないとしたら、それは人間による罪隠しと同じ事です。それを殺す事によってしか解決できないなどあってはならない事です。

そうならないためにも対策を施せば良いし、様々に理解を求めれば良いでしょう。
単に農家の言っている事を鵜呑みにして、それが絶対であり、許可があるから当然だなんて言っているようでは、まず無理ですが・・・。



●2013.10.26 12:00
「いいえ。出来れば殺したくはありませんが、動物を殺さなくても人が生きていける方法を知りませんので、自分で動物を殺してますし、誰かが殺してくださった動物のお肉も感謝して食べていますよ。」

⇒殺したくないのに狩猟者をやられていると言う事が全く理解不能です。
そして、肉食に感謝は無用です。生きものたちは生を全うして次世代を残してこそですから、殺され食べられては、感謝されても全く意味がありません。



●2013.10.26 12:14
「銃を手放して、動物の生き死にに関わらずに生きていく方が私にとっては気が楽です。でも誰かが銃を撃たなくてはいけない現実も日本にはあるのですよ。私はそれを他人に押しつけるのが嫌なだけです。」

⇒これも先と同じく理解不能です。
会社で言えば、自分がいなければ、この会社はダメだとか、このポストは自分でなければ出来ないとか、良くそういうのがいますが、そんな事はなく、代わりなんていくらでもいるのです。



【結論】

今回の議論で端的にわかったのは、やはり狩猟者は常に人間本位での考え方しか出来ないと言う事です。

全て人間本位の考え方で生きもの(動物)たちの言い分、権利などは全く無視されています。

動物福祉に関する考え方はある様ですが、今回の例からもそれが絶対ではないような印象を受けています。

どちらにしても、ここ昨今の狩猟は半ば人間の快楽と自己満足などの単なるお遊び感覚と化してしまっている感がぬぐえないだけに、今回も大きくそのことが表面に出ました。

有害鳥獣駆除などと言うものにも更に疑問が出てきました。
そもそもは人間が生きもの(動物)の生息域を奪い、踏み込み、また追いやって来たにもかかわらず、反対の立場になれば、死を持って制するなど、人間の身勝手なおごり高ぶりも良いところです。

反対に人間が生きもの(動物)たちの生息域に入ってきて、そこにある作物を取って行ったり、何らかの所業をしたら、生きもの(動物)たちに殺されても文句は言えないと言う事と同じ事です。

この地球上に生きている生きものは人間だけではありません。
そのことをすっかり忘れている、いやわかろうともしない人種なのかなとも思いました。









2012年1月1日日曜日

2012年 謹賀新年

2012年、新年おめでとうございます。
旧年は大変にお世話になり、誠にありがとうございました。

本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

さて、2011年はまさに様々な事がありました。

この国の動物たち、生きものたちにとって、理不尽な扱いは一向にとどまる事がありません。
年末だ、新年だと言っても、生きものたちには全く関係がなく、日々日夜、時間を問わずに苦しんでいる生きものたちが数え切れないほどいます。
パブリックコメントと言うイベントもありましたが、完全なる結果が未だに出ていません。
良い方向に向かうようにも思えますが、決して安心は出来ませんし、まだまだ不足です。

今年も引き続き、人間の勝手で利用される、また理不尽な扱いを少しでもなくして行くべく、今までと同じく、自分に出来る事を少しずつでも継続的にやって行きたいと思います。

副題にも書いてある通り、生きものたちの苦しみはまさに枚挙にいとまがありません。
その全てに関して、出来る事を根絶を目指す事、これが自分の生きる一つの意味だと感じています。


また、全般的なことですが、この場も含めて各ブログなども、なかなか更新も出来ない状態が続いていますが、何とか撮影行には合間合間に行く様にしています。
ただ、画像整理、観察データ整理が殆ど出来ていないために未処理画像がたまる一方の状態でもあります。

現在の未処理画像はゆうに70万枚は超すと思いますが、まとまった時間がないと処理も出来ず、またこの場にもアップすることが難しいところです。

今後どうしていくかは要検討事項でもあります。

また、twitterに関してはそれなりに、そして、更には2011年の終盤にはmixiを稼働させました。

それと同時にHPの改変を始め、各コンテンツにmixiページを設置、またこの場、AR道傳説も新設しました。
コンテンツはだいぶ増えましたが、仕事ばかりで、なかなか更新する時間がないというのが現状です。

今後も少しずつではありますが、それぞれにアップしていけるように頑張っていきたく思っております。

あと、蔵書データベースの作成も稼働しましたが、こちらもなかなか進まない状況です。
数千冊にも及ぶ、図鑑、蔵書と文献などを全てリスト化する事で何がどこにあるのかを系統立てて管理することが目的ですが、やはり計画通り、最低3年、余裕を見て5年以上はかかるのかなと言う感じです。

公開はまだかなり先になりそうです。

2011年は個人的にも様々な契機があり、社会的にも様々な事がありました。

全ては継続ですが、更に2011年での事で教訓となる事は確実に今年も活かして行けるようにしていきたい物です。

今年も、皆様方にとっても、また全ての自然と生きものたちにとって、良い年でありますように・・・。

2011年10月21日金曜日

みんな仲間、友達だよ

ほ~ら、見てごらん。

生きものたちはみんな、口があるよ。

目がふたつあるよ。

鼻があるよ。

手も、足もあるよ。

みんな、かたちは違うけれど、人間と同じ一緒だよ。

そして、みんな「心」があるよ。

かけがえのない、ひとつの「命」があるよ。

生きものたちはみんな仲間、友達なんだね。