2013年10月27日日曜日

桔梗屋 @r_kikyoyaさんへのお返事とこちらの意見など

10月25日未明より、twitter上で狩猟に関する議論がなされました。

その中で、その是非に関して、「ちはるの森」(http://chiharuh.jp/)で公開されている行為に関しての議論が集中しました。

そもそもの発端は、うちがこのホームページオーナーに対しての書き込みを行った事に対して発した事で、桔梗屋 @r_kikyoyaさん、その後、ピクシー(奈落のひっそり部長) @pixie10ole さん、空 @sora_love_sora さん、STOP VIVISECTION @hana_ko45 さんも交えての議論へと10月26日朝方まで発展しました。

ここで、うちは深夜を徹して行われた議論に関して、10月26日の朝からの仕事も控えていたために、議論を中座したために、その後の昼間に議論された事に関して、twitter上や自分のHPの掲示板などでは字数制限もあり、まとめて書き込む事が出来ないために、この場にまとめて書かせて頂くものです。

中座をする際に、狩猟に関してその制度であるとか、許可関係など諸々の事を自分なりに調べて、再度お返事をすると書いたのですが、今現在、満足に調べ切れていない状況です。

ネットで狩猟を調べてみても、その免許制度の表向きの事などの概説しか見当たらず、その許可条件がどうなっているのかの具体的内容、何に対して特権(あるのかどうかわかりませんが)があるのかなど、深く掘り下げた事は殆どわかりません。

得てして、時間がないために書いてある場所を探しきれないのか、見落としているのか、更には作為的に書かれていないのか、そのどれなのかは今のところ判断できません。

よって、この調べるべき事項は書籍を探すなり、更にはネット上で更に検索をかけて、詳しく調べるなりして行きたいと思います。

ただ、これで何か深く掘り下げられた何かが仮にわかったとしても、自分自身の考えが変わる訳ではなく、概して、狩猟者側が主張している事の裏付けと確認を取るのみの事です。

さて、ここでどの様にお返事をするか迷いました。

まずは、こちらの根底に流れる主張を書かせていただき、その上で10月26日の昼間に行われた議論に関して、うち宛てのメンションもありましたので、お返事を書き込み毎にピックアップして、対比しながら、お返事とさせて頂く事にしました。

また、このお返事自体は相手方を非難したり、攻撃するものでは決してなく、ブログに掲載する以上、あくまで単なる反対意見としての性格を持つ物であると認識して読んで頂ければと思います。


【根底に流れるもの】

うちはtwitterのプロフィールやホームページ、他の場所でも書いている通り、アニマルライツであり、完全菜食主義者です。世間ではヴィーガンと言う言葉もありますが、自分には言葉があまりなじまない為もあり、完全菜食と表現しています。

よって、自然界、そしてこの地球上に同じく生を受けた生きものたち(広範な動物類として昆虫類から植物類に至るまで)への理不尽な扱いには全て反対をしています。

自分が考える理不尽な扱いとは単に人間本位の考え方から来る生きものたちへの扱いです。

このブログのサブタイトルにもある通り、動物類から昆虫類、全ての生きものたちに対してです。

よって、狩猟に関しても、現在の狩猟は単なる人間本位の考え方から来る快楽や自己満足の世界が殆どのために完全に反対をしています。



【狩猟と言う行為に関して】

最初にお断りしておきたいのは、狩猟文化を完全に否定をしている訳ではないと言う事です。

古くからの狩猟は自然界と一体となって行われてきたに違いないと感ずるのですが、現在の狩猟は果たしてどうでしょうか。

現在の狩猟は自然界と一体となって、生きものたちの生態を考え、または生命を敬い、必要最低限と言う事が考えられているでしょうか。

うちが考える現在の狩猟

①人間の快楽のための狩猟
②人間の自己満足のための狩猟
③人間の金儲けのための狩猟
④人間が今までやってきた事に対する罪隠しのための狩猟

はっきり言って、これしかないのではないでしょうか。

古くからある狩猟文化も現在では全く自然界を無視した、単なるお遊びにしか過ぎなくなってしまいました。
更には「有害鳥獣駆除」などと言うもっともらしい理由を付けて、合法だから何をしても良いとも受け取れるような、人間本位そのものの狩猟すら行っています。
それ以上に今までさんざん自然を破壊して、生きものたちの生息域を奪っておきながら、その生きものが人間の前に出てくると害獣だと決め付け、殺す事しか考えない、単なる罪隠しのような卑劣な殺戮狩猟もあります。

生きものたちの個体数調整での狩猟と言う事もあるでしょう。
しかし、これも人間が自然界の生きものたちの生命をコントロールするなどおごり高ぶりも甚だしい事です。

また現在の狩猟者のマナーは知っている限り、最悪です。
①合法だからと言って、住居があるにもかかわらず、住人の迷惑を全く考えない。
 中には住人よりも自分が優先とも考えている輩もいて、住人に向かって「楽しみのために邪魔するな」と言う輩もいるらしい。(迷惑行為)
②猟犬が近隣住人の飼い犬や飼育動物をかみ殺す事さえ起きている。これはイヌ君が悪いのではなく、狩猟者の全面的責任。(器物破損)
③猟犬を使うだけ使って捨てる。いわば、生きものを道具として使って使い捨て。(動物愛護法違反)
④他人の住居や施設を壊しておきながら、合法である狩猟のためと正当化する。(器物破損)
⑤車両を平気で他人の迷惑になる場所、駐車禁止場所に駐車する。(道路交通法違反)
⑥狩猟許可鳥獣以外の種を殺しても、見間違えたで済むと思っている輩の多い事。(鳥獣保護法違反)
⑦更には、人間を撃っても、見間違えたで済ませる輩もいる。大日本猟友会ではそのための保険すら用意しているらしい。自己責任を課すには乏しい現状。(傷害、殺人)
⑧狩猟した鳥獣の必要な部分(金儲けの手段)だけ取って、あとはその場に捨てていく感覚。(不法投棄)
⑨金儲けのためにある種の部位だけを目当てに生きものを殺戮する。
⑩更には密猟者と言われる人種は狩猟者以外にはいない事。(鳥獣保護法違反)
⑪何でも「殺す事」ありきでしか考えていない。
⑫人間本位の典型的な所業である事。
⑬自身の快楽、自己満足のためには何でもやるし、お構いなし。
⑭狩猟のためなら、平気で他人の住居(私有地)にも立ち入る。(住居不法侵入)

などなど、まだあると思いますが、この14個だけでも最悪のマナー・モラルしか持っていない事が伺え、あまりにも無神経です。その上、その殆どが法律に違反し、犯罪も同然です。

いくら、狩猟に関して合法でも他の法律はお構いなしでは正当な行為であるとは到底言えません。

当然に全ての狩猟者がそうではないでしょうが、うちとしては、こう言った事から、狩猟者は全く信用していないし、信用できないというのが見解です。

狩猟者の意見を聞いてくれと言うのならば、そう言ったマナーやモラルを改善して、クリーンなイメージにしてからにしてくれと言いたくなります。

古くからの正当な狩猟も現在ではこのような状況では、現在の狩猟者が正当な文化をまさに壊してきたと言う事にもなります。現在の狩猟者の社会的責任も大きいと感じます。

以上のような事から、今の狩猟の現状からは信用していないのですから、その狩猟者の意見を聞く事も出来ないし、果たしては歩み寄りなどはないと言う事になってしまいます。



【それぞれの書き込みに関すお返事】

それぞれ文章が分割になっていますから、こちらからの意見もバラバラになったり、前後したりすますが、一応は書き込まれた順番にして行こうと思います。


●2013.10.26 10:09
「くくり罠にかかった猪を叩き殺すのが良いかどうか、わかりやすく説明しましょうか。 まず今回畠山さんが捕獲したのは、有害鳥獣駆除で捕獲した猪です。」

⇒有害鳥獣駆除で捕獲した猪とある様に、あくまで合法的である事は否めません。
しかし、それが本当に害を及ぼした猪であるかの個体判断は出来ないですよね。
そもそもやっている事に矛盾があります。

叩き殺すのが良いのかどうか・・・とは合法に捕獲した生きものであれば、どう扱っても良いと言う事を言いたいのでしょうか。



●2013.10.26 10:10
「有害鳥獣駆除は被害を受けた農家等の依頼に基づいて、事業として実施されていますので、罠に駆除対象である猪がかかった時点で、従事者に「殺す」以外の選択肢はありません。」

⇒その依頼の信憑性は十分に調査されているんでしょうね。
それよりも、そもそも自然を破壊して、野生動物の生息域を荒らし、または生息域を奪い、追いやり、踏み込んだのは、図らずも人間であると言う事を全く忘れた、全くの人間本位な考え方です。

生物多様性国家戦略などと良いながら、別の方面では次々と自然を破壊し、野生動物の生息域を奪っているにもかかわらず、人間の作った作物が食べられたくらいで「殺す」しかないと言うのも、あまりに心の狭さを感じさせざるを得ません。

事業であるから「殺す」しか選択肢がない。おかしな話です。

それでは、百歩譲って、荒らした個体がそのかかった個体だと言い切れる根拠はどこにあるのでしょうか。
この文章では単に罠を仕掛けて、かかった個体を荒らした個体、人間本位の考え方による害獣と決め付け、無差別殺戮をしているとしか考えられません。

そういった疑問を持たないと言う事は、結局は「殺したい」=自己満足と快楽の所業だと言われる訳です。

余談ですが、うちの父方の実家が山形県にありますが、そこでも農業を営んでいます。
当然に鳥海山の麓の町、生きものたちも多くいます。
叔父は生きものたちが作物を食べに来ても、害獣だとか害を被ったなどと言った事はありません。
生きものたちの生息域に入ったのは、人間であり、食べるものがあれば、食べに来るのも当然で、その行為を責めて殺しても何ら解決しないとも言っています。

叔父の農場では有害駆除などと言う言葉は存在しません。

そして、出荷できなかった作物を敷地周辺のある場所にまとめておいておくとか、簡単な柵を作るとかの対策もしています。

依頼をしてくる農家の方は「対策」と言う物をしているのでしょうか。
対策すらせずに、単に有害だと決め付け、殺す事を持って罪を償わすなど、言語道断としか言いようがありません。

人間本位の考えでおごり高ぶりも良いところです。
そう言った事に加担していると言う事にならないですか。

事業だからとか、被害だとか、全ては人間が勝手に決めた事であり、野生動物には何ら関係はないのです。

人間がしてきた様々な事が元となって起こっている事を「殺す」事をもって「駆除」する事しか道はないのか、改めて良く考えて頂きたい事です。

事業者は殺さないと金にならないでしょうから、そういった制度にも問題があります。



●2013.10.26 10:12
「次に罠にかかった猪を殺す方法ですが、最近は銃の使用が多くなっています。」

⇒これは現状でしょうから、意見はありません。
いつも報道や情報から十分にうかがえる事です。



●2013.10.26 10:13
「もっとも、少し前までは罠で捕獲した個体への銃の使用が禁止されていましたので、くくり罠の場合は、まず頭部を殴って気絶させ、その後刃物でとどめを刺すのがいたって標準的な方法です。」

⇒これも方法論ですから、意見はありません。
家畜などの屠殺方法と似通っていると言う事はわかります。



●2013.10.26 10:15
「この時重要なのは、必ず一撃で気絶させるという事です。これは獲物が暴れ出す事で従事者に危険が及ぶのを防ぐ事と、獲物に出来るだけ恐怖と苦痛を与えないための配慮、という2つの意味があります。」

⇒これも方法論の延長ですから、意見はありません。
動物福祉の考えが少なくとも取り入れられているのかなと言う事は伺えました。



●2013.10.26 10:16
「畠山さんのケースで問題なのは、まさにこの「一撃で気絶させられなかった」という点です。」

⇒結果論的にはそういうことになるでしょうね。
その時点で先にあった方法論の「出来るだけ恐怖と苦痛を与えないための配慮」はなくなったと言う事でしょう。
方法論に反してしまった時点で即座に別に方法を考える必要があったのではないでしょうか。
そこが問題です。
狩猟者がいくら方法論を説いて、そうしていますと言ったところで、その方法論が遵守できなかった場合にどうするのかの対策すら考えていないと言う事になりましょう。
それでは、一つの観点から見れば、事業だ、殺すしか選択肢はないと言ってもその行為自体は正当化できないでしょう。



●2013.10.26 10:17
「非力な女性が、スコップという軽い道具で猪を殴って気絶させるのは大変難しいであろうことは、罠猟の経験のない私でも容易に想像が付きます。」

⇒それは違います。
現在は仕事に関して男女同権、雇用の平等が謳われている時代でもあります。
女性だから出来ない、やれないと言う事は少なくとも一般的には通用しません。
うちが勤務する会社でも男女の格差はありませんし、ましてや仕事で女性だから出来ないだろうという考えも持っていません。
待遇面では給与は同じですが、その他の面で違うところはあるせよ、女性だからと言う良い訳は通用しません。

ましてや今回のように生きものの生命に向かって、女性だからなどという甘えは全く通用しない事は何を見ても明らかです。



●2013.10.26 10:18
「畠山さん自身は、猪の止め刺しを初めて経験したとの事ですので、実際にやってみるまでその事に気づかなくても仕方ありません。むしろその方法を指示した者の判断の甘さが問題だったと私は思います。」

⇒それは違います。
初めてだから、経験した事がないからとは理由になりません。
新米の医者が初めて手術したから、失敗して結果的に患者を殺してしまったと言う事と同じです。
生命に対する責任がなさ過ぎるとしか言いようのない事です。

指示した者の判断が甘かった・・・これも違います。
要するに生命を軽視していた結果です。
大切な事はきちんと考え、状況を見て判断するはずです。
それをやらなかったと言う事は、ずいぶん軽く考えていたものに他なりません。
狩猟者というのはいい加減と言う言葉で表すに相応の行為です。



●2013.10.26 10:19
「もし私が当事者なら、2・3回の打撃で気絶させられなかったら自分が代わったと思います。そうでなければ、周囲にいる人間は非常に危険な状態に置かれますし、猪を無駄に苦しめてしまうからです。」

⇒周囲にいる人間は非常に危険な状態に置かれます・・・少し大げさすぎます。イノシシ君でしょう。

ただ、文章自体は確かにそうするべきと感じます。
それが先に書いた別の方法です。



●2013.10.26 10:21
「そして畠山さん自身は、猪を一撃で楽にさせてあげられなかった自分の未熟さをとても後悔し、反省しています。」

⇒結果的にはイノシシ君を50回も殴って、殺したと言う事でしたね。
要するに撲殺と同じ事です。
形式的にナイフを使ったとしても、先の方法論に合わないのではありませんか。

結局は殺す事ありきでどうしたって構わないと言ういい加減な無責任な考えから来る行為です。

後悔し、反省すればすむと言うものではありません。
どんな状況でも実行したのは自分なのですから・・・。
また同じ事を繰り返し、毎度となく、言い訳をするのでしょうか。
そして、後悔しています。反省していますで済ますのでしょうか。



●2013.10.26 10:23
「ただし、この苦い経験を無駄にしないよう、次こそは獲物に苦痛を与えずにとどめを刺せるようになる決心もされています。私も同様の経験がありますので、私は畠山さんのこの決断を心から支持します。 」

⇒言葉ではどうとでも言えます。
また、同じ事を繰り返します。



●2013.10.26 10:26
「畠山さん自身がこのような決意を語っていることは、少し前のツイートを読めばすぐ判ることです。」

⇒先に同じです。



●2013.10.26 10:29
「畠山さんを批判されるのであれば、そもそもの発端の時点までTLを遡るか、せめて関連ツイートのまとめくらいちゃんと読んではいかがですか?」

⇒人間というものはどんなに出来ていても、どんなに優秀でも、一つの事で全ての信用を失います。
それが今の社会の現状でもあり、常識とされている事です。
ですから、一つの行為を見るだけで十分です。

一応はホームページやその他見ている事は見ていますが・・・。



●2013.10.26 10:32
「そんな簡単な事もしないで、リツイートされてくる一部ツイートの、それもごく表面的な部分だけを取り上げて畠山さんを批判する資格は誰にもありませんよ。もっと勉強してから出直してきてください。」

⇒先に書いたとおりです。
どんな事でも正しいと言われる事でも、批判をする権利は誰にでもあります。
それは何故かと言いますと、価値観や考えは全て人それぞれであり、同じものは何一つないと言う事だからです。



●2013.10.26 11:01
「有害鳥獣駆除で捕獲したと私は最初に書きましたよ。被害に合っている農家等の依頼に基づいて、自治体の事業として実施されている捕獲事業に道徳的是非を問う余地はありません。」

⇒前にも書きましたが、有害鳥獣駆除だから、事業だから、何をしても良いとはなりません。
法律上では合法でも道徳的、倫理的な事は当然にどんな事においても出てきます。

だから、狩猟者は人間本位の考えしかしない、殺す事ありきの考えしかないと言っているのです。



●2013.10.26 11:06
「駆除事業の是非を問いたいのであれば、従事者ではなく発注者である市町村に問いただすのが筋でしょう。もっとも被害を受けている当事者でも、そこの住民でもない方にそんな権利はありませんが。 」

⇒それは責任逃れというものです。実際にやっているのは狩猟者でしょう。
実際に手を下している方が責任を取り、また様々な対策をするのです。
それが今のこの国家、行政のやり方です。

うちの仕事の中でも行政(役所)発注の仕事、事業が多くありますが、その仕事に関する様々な事は全て業者任せであり、業者が対応する事になっています。
関連する警察でさえ、許可を出しているにもかかわらず、それに対する対応などは全て申請者となっています。

ですから、行政に是非を問えば良いなど、全くナンセンスなお話です。

事業そのものに関しての是非については問い合わせる事が出来るかも知れませんが、やっている事に関しては全て業者、事業者です。

また権利と言う言葉が出てきましたが、どんな事でも権利はあるんです。
当事者でも住民でもないから権利はないなどと言う事は当然にしてあり得ません。
どんな事でも言う権利は誰にでもあるのです。
それが日本の憲法にも謳われているでしょう。



●2013.10.26 11:13
「猪を一撃で気絶させられなかった事に関しては、決して許される事ではなかったという反省を、私も畠山さんもさんざん書いていますが、きちんと読んでますか?」

⇒何度も見ています。
しかし、先に書いたとおりで、本当に悪く言えばですよ、言葉では何とでも言える訳です。
結果的なものを反省しても仕方がないのです。
特に生きものの生命に向かってはです。
その経緯と方法に関して、これからどうするかが必要なのです。
それも社会の常識でしょう。
単なる簡単にそうならないように決断したって、意味がないのです。



●2013.10.26 11:20
「 しかも叩き殺したのではありません。殴って気絶させてから刃物でとどめを刺しています。事実誤認で適当な事を書くのはおやめ下さい。」

⇒撲殺ではなかったのですか。
これはこちらが間違えていましたね。
ただ、イノシシ君を50回も殴った事は事実であります。
刃物での行為は形式上やった事に過ぎないのではないでしょうか。
そう思えてなりません。



●2013.10.26 11:22
「それでは法的な手続きに基づいて告発されたらいかがですか?確か先程まで「道徳的な問題」と言われていたような気がしますが、それよりも法的に自治体を相手にされた方がよほどすっきりしますね。」

⇒それは簡単に言えば、開き直りと言うべきものなのでしょうか。
どんなに法律的には正しくとも、道徳的問題が発生する事は往々にしてあります。
それはやっている人間に問うていくしかありません。
そして、更には倫理的な事も問題になってきます。



●2013.10.26 11:26
「有害鳥獣駆除の許可が出ているので、猪を殺すべき理由と法的な許可はあるのですよ。我々が反省しているのは「苦しめずに殺してやることが出来なかった」という我々自身の道徳的観点からです。」

⇒これも先に書いた事と重複しますね。
許可があるから何をしても良いとはなりません。
行政の許可というものは絶対ではないんです。
あくまで許可は許可でしかありません。
条件に合うようにやっても良いと言う事に過ぎません。
良くわかっている事でしょう。

我々の仕事でも仕事の世界が全く違うと言われそうですが、行政や警察の許可があっても、住民や通行人、第3者などからの苦情があれば、その通りに出来ない事も往々にしてあります。

その対象は様々です。
住民は勿論、通行人、ただの通りすがりの人間、初めて来た人、あらゆる人間です。
そこで、当事者でも住人でもないくせに文句を言うな、許可を取っているなどと言う馬鹿はいません。

そんな事は社会全般の常識でしょう。

あなた方が言っている事は、うちが仕事で許可を取っているから関係ない、住民でも当事者でもない人間の意見は聞かないとする事と全く同じ事です。

許可があるから何をしても良い、その通りにやらなくてはならないと言う理屈は全く通りません。



●2013.10.26 11:28
「今の日本では誰かが動物を殺さなければ食料生産や生態系の維持は成り立ちません。有害駆除に関わっている我々は、誰かが殺さなくてはいけないのなら自分の手を汚すという決意を既に固めています。」

⇒何度も書いていますが、人間本位な考え方の典型です。
自然生態系は人間が壊してきたものです。
だからと言って、コントロールしようなど、おごり高ぶりも甚だしい事です。



●2013.10.26 11:30
「その上で「出来るだけ野生動物に苦痛を与えないように殺す」というのが我々の倫理観です。貴方の考えとは著しく食い違っていると思いますが、自分勝手な道徳を他人に押しつけるのは止めてください。」

⇒これも先に書いた事と重複します。
人間の価値観などは人それぞれで全く同じと言う事がないくらい様々です。
押しつけても意味がありません。だから、押しつけなどはしません。

押しつけというならば、あなた方も狩猟者の価値観を押しつけていると言う事になります。
自分勝手と言いますが、何度も書いているとおり、マナー・モラルなど道徳的な心得のない狩猟者に言われたくはありません。



●2013.10.26 11:38
「それでは貴方が直接中山間地域に足を運んで、獣害に悩む農家の皆さんに、動物を殺さなくても農業が出来る方法を教えてきてあげてください。みんな悩んでいるのですごく助かると思いますよ。」

⇒これも先にもうちの叔父の例も出して書きました。
受け入れる寛容な心を持つ事です。
そして、簡単な出来る対策をする事です。
生きものたちを目の敵にして、自分たちが生きものたちの生息する場所を奪っておきながら、作物を食べられるから単に殺すなどと言う人間本位の論理は全く通用しませんし、言語道断です。



●2013.10.26 11:43
「あと、シカが増えすぎたせいで多くの貴重な植生が食い尽くされて本当に困っています。シカを殺さずに人間が責任を取る方法を教えて下さい。話の続きはその問題が解決してからにしましょう。」

⇒これもシカ君の天敵である生きものが絶滅してしまったからでしょう。
それは図らずも人間のやった事です。
シカ君も食べなければ生きていけません。
生きものたちを平気で絶滅させる人間が今度は貴重な植生が食い尽くされて絶滅に瀕しているからどうすれば良いとなど論理的に崩壊しています。
自然現象は自然のままに、人間がいないとうの昔から自然では自然淘汰がされ、生き残る事の出来る種類が子孫を繁栄させ、残ってきたのです。



●2013.10.26 11:46
「私には人間が動物を殺さずに生きていける方法が判りませんので、こうして心からお願いしています。出来れば私も野生動物は殺したくありませんので、本当に教えてください。お願いします! 」

⇒菜食主義に移行すれば良いでしょう。
うちは全くの動物食を摂らないで、長年来ています。
少なくとも食では動物類を殺す事には加担していませんし、殺す数は減らせます。

また、自然生態系に関しては寛容な心を持って、受け入れる事しかないと思っています。

人間がやってきた事のために動物類を殺さなければならないとしたら、それは人間による罪隠しと同じ事です。それを殺す事によってしか解決できないなどあってはならない事です。

そうならないためにも対策を施せば良いし、様々に理解を求めれば良いでしょう。
単に農家の言っている事を鵜呑みにして、それが絶対であり、許可があるから当然だなんて言っているようでは、まず無理ですが・・・。



●2013.10.26 12:00
「いいえ。出来れば殺したくはありませんが、動物を殺さなくても人が生きていける方法を知りませんので、自分で動物を殺してますし、誰かが殺してくださった動物のお肉も感謝して食べていますよ。」

⇒殺したくないのに狩猟者をやられていると言う事が全く理解不能です。
そして、肉食に感謝は無用です。生きものたちは生を全うして次世代を残してこそですから、殺され食べられては、感謝されても全く意味がありません。



●2013.10.26 12:14
「銃を手放して、動物の生き死にに関わらずに生きていく方が私にとっては気が楽です。でも誰かが銃を撃たなくてはいけない現実も日本にはあるのですよ。私はそれを他人に押しつけるのが嫌なだけです。」

⇒これも先と同じく理解不能です。
会社で言えば、自分がいなければ、この会社はダメだとか、このポストは自分でなければ出来ないとか、良くそういうのがいますが、そんな事はなく、代わりなんていくらでもいるのです。



【結論】

今回の議論で端的にわかったのは、やはり狩猟者は常に人間本位での考え方しか出来ないと言う事です。

全て人間本位の考え方で生きもの(動物)たちの言い分、権利などは全く無視されています。

動物福祉に関する考え方はある様ですが、今回の例からもそれが絶対ではないような印象を受けています。

どちらにしても、ここ昨今の狩猟は半ば人間の快楽と自己満足などの単なるお遊び感覚と化してしまっている感がぬぐえないだけに、今回も大きくそのことが表面に出ました。

有害鳥獣駆除などと言うものにも更に疑問が出てきました。
そもそもは人間が生きもの(動物)の生息域を奪い、踏み込み、また追いやって来たにもかかわらず、反対の立場になれば、死を持って制するなど、人間の身勝手なおごり高ぶりも良いところです。

反対に人間が生きもの(動物)たちの生息域に入ってきて、そこにある作物を取って行ったり、何らかの所業をしたら、生きもの(動物)たちに殺されても文句は言えないと言う事と同じ事です。

この地球上に生きている生きものは人間だけではありません。
そのことをすっかり忘れている、いやわかろうともしない人種なのかなとも思いました。









2 件のコメント:

  1. 結局、なんだかんだと正当化の言い訳を作ろうかとしていますが、彼の主張をまとめると以下です。

    ・法律で認められているから殺すのは良いことだ。
    ・有害鳥獣駆除の許可が出ているから殺すのは良いことだ。
    ・スコップで50回も殴り挙げ句の果てに刺し殺すことは良いことだ。
    ・反省したら殺すのは良いことだ。
    ・苦しめずに殺すことは良いことだ。
    ・食料生産のために動物を殺す事は良いことだ。
    ・環境保護のために動物を殺す事は良いことだ。
    ・私には人間が動物を殺さずに生きていける方法が判ら無いから殺すのは良いことだ。
    ・感謝して食べれば動物を殺すのは良いことだ。

    上記は彼が行なっている、あるいは正当化しようとしていることですから、少なくとも彼にとっては良い事だと表現できるものです。

    開き直り、論理のすり替えは以下です。
    ・それでは貴方が直接中山間地域に足を運んで、獣害に悩む農家の皆さんに、動物を殺さなくても農業が出来る方法を教えてきてあげてください。
    ・出来れば殺したくはありませんが、動物を殺さなくても人が生きていける方法を知りませんので、自分で動物を殺してますし、誰かが殺してくださった動物のお肉も感謝して食べていますよ。

    全部の主張が普遍性が無いために簡単に反論できますが、そうしなくとも、一番分かりやすいのは、行政で殺処分する人達は仕事として殺す法的義務が存在しますが(それとて仕事を変える自由はありますが)、彼らには殺さなければならない義務は無く、自らの自由意思で自ら進んで殺しに行っていると言うことです。これは彼の「出来れば殺したくはありません」とは矛盾します。つまり、この「殺したい」という欲求に基づく「信念」が無ければ、彼にとっての生きるための必然性や義務も無いのに殺しに行くことは出来ないはずです。この時点ですでに彼の主張は誤りだと言えます。

    また、殺したくないのであれば、菜食主義へ方向転換できるはずですが、私には「動物を殺さなくても人が生きていける方法を知りませんので、自分で動物を殺してますし、誰かが殺してくださった動物のお肉も感謝して食べていますよ。」と開き直って議論を放棄しています。さらに、これは殺したくないと言いながら、殺す必然性も無いのに殺しているわけで矛盾しているために一貫性も無く議論放棄でしょう。

    途中で苦痛への配慮を彼らの倫理として主張していますが、殺す必然性も無いのに、自らが進んで殺しておいて、強制的に殺す事での何らかの機会を奪うという遺失利益という不利益に対する苦痛など全く評価さえされておらず、この時点でも矛盾が生じています。

    殺したいという欲求に基づく信念で、論理的に誤りである「殺す事」は正当化できる物ではありません。何をしても自由だとは思いますが、人間である以上、他の存在に迷惑をかけてよい自由は存在しません。彼が、上記のように開き直って信念で殺している以上、道徳的な批難しか出来ませんが、開き直って非論理的な言いがかりをつけるのは止めて欲しいものです。

    written by 空

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  2. こちらの記事で取り上げられている女性のページやツイッターを見て、大変恐ろしく感じておりました。
    動物を自分で殺すことに執着するあまり、その動物の苦痛にさえ配慮がありません。
    「生まれて初めて、鶏を絞めた日。」という記事でも鶏を苦しめたと書いていましたし、桔梗屋さんとのツイッターのやり取りでもタヌキを苦しめたと書かれていました。↓
    ‏@r_kikyoya 10月4日
    @chiharuh 貴重な体験を書いて下さってありがとうございます。私も以前、箱罠に入ったアライグマをなるべく苦しまずに刺殺しようとしたのに、即死させることが出来ず、何度も刺してさんざん苦痛を与えてしまった挙げ句、最後は水に沈めて溺死させたことがあります。

    畠山 千春 ‏@chiharuh 10月4日
    @r_kikyoya まさに、先日同じことをタヌキにしてしまいました…。私もすごく後悔しています。毎回毎回、命が消えていく瞬間はいろんなことが頭をよぎりますね。

    そして今回のイノシシ。
    はじめて殺す動物は経験がなく慣れていないから苦しめても仕方がないんだと、これからも延々と続けられるのかと思うと気分が悪くなります。
    私は動物を殺したくない菜食者なので、肉を食べる友人にも意見を聞いてみたのですが、「自分が利用したり肉を食べる動物は、苦しめずに殺していて欲しい。もしどうしても自分が殺さなくてはならないことがあったとしても、一度でも苦しめて殺してしまったら一生後悔して夢にまで出てくるだろうし、二度とは殺せないし、恐ろしくなって肉を食べなくなるかもしれない。身勝手なんだけどね。」 という答えでした。 

    どんな状況に置かれても、「自分の手で殺す」ということだけに執着したり賛同している人たちがいることに、恐怖を感じています。

    狩猟者のマナーについて、知らなかったこともありましたので、大変勉強になりました。
    素晴らしいまとめをありがとうございました!

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